私は11歳のときに父をがんで亡くしました。
それからずっと母子家庭で育ち、生活は決して裕福とは言えない母子家庭で育ちました。
中学、高校と、有利子の奨学金を借りて通っていました。
高校卒業して働くということも考えましたが、母親は、絶対に大学まで卒業してほしいという考えの持ち主だったため、せめて良い大学に入り、良い仕事に就き、母親に恩返しをしたいと考えていました。
無事にとある大学に合格することができ、今では社会人として働くことができています。
経済面では、決して楽ではありませんでした。
高校生からアルバイトができるようになったため、スシローなどでアルバイトをしていました。
大学受験を控えていたため、途中で辞めざるを得ませんでしたが、高校生のときに社会で働くという経験ができたことはありがたかったと思います。
大学生になってからは、周りが部活やサークル活動を楽しんでいる中、私はアルバイト漬けの日々を過ごしました。
おかげさまで成績は低空飛行を続けていましたが、なんとか留年することなく卒業することができました。
しかし、アルバイトだけでは、大学の学費を払いつつ、自身の生活費や娯楽費を賄い切れず、クレジットカードのリボ払いやカードローンに手を出してしまっていました。
それでも自己破産まで至らなかったのはギャンブルに手を出さなかったからだと思っています。
父親は、パチンコが好きだったので、もし私もパチンコなどのギャンブルに手を出していたらと思うと、ぞっとします。
さらに、社会人になりたての私は、まだお金の知識がなかったので、社会人になってすぐ、調子に乗り、スポーツカーを新車でローンで買うという暴挙に出ました。
今では考えられないのですが、当時の私は、とにかくかっこいい新車のスポーツカーが欲しいということしか考えられていませんでした。
こうして、社会人となり、安定した収入を得られた私は、日々の生活を楽しみつつ過ごしていたのですが、時々母親からお金がいくらか貸してほしいと頼まれるようになります。
最初は、今まで苦労しつつ生活しており、社会人にもなったことだし、家にお金を入れるつもりで何も考えずに渡していたのですが、貸しているきんがくが100万円を越えたあたりから疑問をもちはじめました。
もしかして親に借金があるのでは?と。
そこで気になって親がいないときに、親の財布の中を探ってみたところ、有名な消費者金融のカードが複数出てきました。
後日、私は親に聞きました。
今、どれくらいの借金があるのかと。
親は、悩んだ後、私に家計の状況を打ち明けてくれました。
さらには、質屋に貴金属類を複数預け入れており、高利子の返済を求められていたこと、消費者金融への返済が滞り、裁判となり、支払督促を受けていたこと、そして、信用機関にはブラックリスト登録されており、新たにローンやクレジットカード等の申し込みができなくなっていることを知りました。
私はショックを受け、悲しみました。
生活のために、これほどの苦しみを一人で抱え込んでいたのかと。
私はそんなことを全く知らずに、高校、大学、そして社会人となり過ごしていました。
このことがきっかけで、私は資産形成の道に本格的に歩み出すこととなります。
転機
転機が訪れたのは、2017年に行われたiDeCoの拡充でした。
それまでiDeCoのイの字も知らなかった私は、ちょうどたまたまどこかで見かけたニュースでiDeCoの対象が大幅に拡大されるというニュースを知りました。
これをきっかけに投資というものに興味を持ち始め、ネットで色々調べるようになりました。
そこで最初に出会ったのがたぱぞうさんです。
たぱぞうさんは、当時から米国株投資などをはじめ様々な投資に関する知見をブログで発信され、何も知らなかった私に多大な影響を与えました。
その後、バフェット太郎さんや三菱サラリーマンさん、そして両学長との出会いが私の金融知識を大幅に改善することになりました。
彼らはそれぞれ投資の手法や主張は違えど、共通して言っていることは、すでに日本は人口減少社会に突入しており、銀行口座にお金を預けていても金利でお金が増えることはほとんどなく、有力な米国企業や高配当株などの金融商品に投資することが、資産形成を加速させるということです。
市場の改革も次々に行われ、100円から投資できる投資信託や、NISA制度の開始など、それまで最低でも数十万円必要だった株式投資が、一気に庶民の手に届くものとなっていきました。
私は給料の中から先取りで数万円ずつ投資に回していくようになりました。
途中で個別株投資や優待投資、デイトレードでの火傷(笑)なども挟みつつ、現在はETFやクレジットカード積み立てを中心としたインデックス投資で資産を形成している最中です。